原発論アンケートTen!!

〈雪月花への核ごみみそぎ〉列島運動

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原発どうする会本部

ロシアとは?

ロシアとは?

(や) 結論から申し上げますと、わたしどもは、米国を含むNATO諸国をも、露国をも、支持しません。日本社会から、諸民族の調和と、諸国家そのものの止揚 (内容は保存し、形式は否定する) を、追求してゆく、立場であるからです。ただし、この、悠久壮大な目的を、実行してゆくためにこそ、諸国家関係の成りゆきは、その眞実を、正しく、把握しつづける必要があります。
バイデン政権の米国は、いよいよ、内政の矛盾が、激化し、さしあたり、米国世論を、外政に誘導したく、露国を、非難対象として、利用しようとしたのかもしれません。
ソ連崩壊直後には、NATOを東方拡張しない、といふ、米国からの公式発言も、ありました。しかし、露国の弱体にも乗じ、NATOは、東方拡張された。虚偽情報まで駆使し、「民衆運動」と、政権交代が、演出された。さうして、親米政権を増やすことも、幾度か、実行された。直接に、国軍などを、出動させない、 (国際法に、反しない) “スマートな”やり方、と言ひたいのでせうか。
露国と直接、国境を接する、ウクライナ国 (親米政権) までが、NATO加盟の話題となつた。ウクライナ政府と、ウクライナ東部ロシア人居住域との、停戦合意を、先に破つたのが、ウクライナ政府であつたことが、事実です。ウクライナ政府から、実際、同域へ、ドローン攻撃などが、なされてゐた。米国も、それを、制止しなかつた。ただし、この事実が、なぜか、日本社会などにて、報道されてゐません。つまり、バイデン政権は、自国世論誘導のためにこそ、ウクライナ政府による、露国挑発を、黙認してゐた。挑発への加担です。
バイデン大統領は、プーチン大統領と露国の、現実が見えない、浅はかな挑発であつた。さう、言へませう。
プーチン大統領は、“スマート”でない、“古い”手段として、ウクライナ国への、直接の軍事侵攻を、選んだ。露国が「民間人を、対象としない。」と言ふも、民間人 (とくに、子ども) に犠牲が出たことが、より大きく報道され、国際世論が、「露国のみを非難」へ、誘導されてゐます。しかし、米国ないしNATO諸国が、直接に、ウクライナ国へ、軍事支援するわけでもなく、結果として、ウクライナ国の、諸施設と、ウクライナ国民が、見殺しにされてゐるとも、言へませう。ウクライナ国は、さしあたり、露国が要求するやう、NATO諸国と、露国の、あひだの、緩衝地帯として、自立するしかない、のではないでせうか。
さて、将来の、諸民族の調和へは、健康平和な、現実の認識としての、民族地理学が、必須です。わたしどもは、川喜田二郎師 (1920~2009) に、学んでをります。民族性ないし大民族性には、成熟度、といふものがあります。

(川喜田二郎『環境と人間と文明と』古今書院1999年・39~41ペより) …前近代的文明というものがあります。本当に成熟して、パターンとして、生きざまとして、確立した文明は、私はユーラシア大陸には七つしかないと考えています。この七つとは、東から数えて、「中国文明」、インド半島の「ヒンドゥー文明」、その北に「チベット文明」、西にいって「イスラーム文明」、それからさらに西に三つあって、ひとつは「ビザンチン文明」(東ヨーロッパの文明)、西地中海沿岸に「ラテン文明」、そして最後にアルプス以北に「西欧文明」があります。これだけです。
これは一つの考え方ですから、西の三つを「キリスト教文明」として一括して考える考え方もあります。しかし、実際の民衆生活とかで考えると、たとえばビザンチンの文明と西欧文明とは違いますね。だからここでは分けます。
この七つの文明の特色なのですが、二つあげておきます。一つは、この七つの文明はそれぞれ独特のパターンを持っているのですが、それぞれがこともあろうに気候帯とわりに一致するということです。たとえば中国文明はある程度湿潤な暖温帯です。それよりも寒いほうにはなかなか伸びられないし、それより暑いほうにも本当は十分には伸びられていないのです。イスラーム文明は乾燥地帯。それもあまり北の冷涼なところまではいかない。先ほどの八五度線のあたりまでです。チベット文明は亜寒帯。ヒンドゥー文明は湿潤亜熱帯ですね、いや、湿潤というよりもサブヒューミッドだな、あれは。
「そんなバカなことがありますか」というのが多くの人の考えです。「これぞまさに環境決定論者の欠陥だ」と怒られそうな話なのです。ところが、同時にこの七文明は、みんな独自の大宗教と結びついている。俗に言う高等宗教が深く切り込んでいるわけです。中国文明の表芸はやはり儒教ですね。道教があるではないか、というのはちょっとおいておきまして、儒教です。ヒンドゥー文明は、やはりヒンドゥー教。チベット文明は、チベット型大乗仏教。イスラーム文明はいうまでもなくイスラーム教。ビザンチン文明はギリシア正教ですね。ラテン文明はカトリック。西欧文明は傾向としてはプロテスタント的。そうなのです。
環境のパターン、とくに気候帯のようなパターンと文明は一致し、他方では高等宗教と結びついている。そういうことを言うと、高等宗教を研究している人は嫌な顔をします。深遠なる高等宗教が、気候条件のごとき物的条件に左右されるはずはない。キリスト教は世界あらゆるところにある。イスラーム教もそうだし、ダライ=ラマだって世界すべてがお釈迦さんの思想を期待している、おっしゃる。中国人だって、内心は儒教で世界征服をしてやろうと思っている。みんなそうなのである。こういったユニバーサリズムと、こともあろうに気候帯とが一致するというのはけしからん。環境と一致するとは荒唐無稽である。……こういう反論がくるわけです。
イスラーム文明が暑熱乾燥と結びついていることについても、「東南アジアをご覧なさい、イスラーム教が拡がっている。あそこは湿潤熱帯でしょう」と言うに決まっているのです。そういう例外的に見えるのはあるのです。それはこっちもよくわかっているのです。…

(や) で、日本や朝鮮は、どうなるのか。

(川喜田二郎『素朴と文明』講談社1987年・45ペより) …日本や朝鮮は、文明の成熟段階まで迎えていないがゆえに、これを文明と呼ぶのはさし控えたいのである。

(や) このあたりの解説に、続き、今に話題の、ロシア文明については、かう、評されてゐます。続いて、東北アジアについても、言及されてゐます。

(『環境と人間と文明と』155~158ペより) …ここに水界稲作民というものを中心とした、本物の文明圏ではないけれども、ポテンシャルでもう少ししたら彼らが新たなる文明圏を確立するかもわからないという、未来符号がついてくる文明があるのです。ユーラシアの確立した前近代的文明は七つでしたが、八つめとして、いま悪のりしているのがNIES諸国と言われているものです。これの一番ボス面をしているのが日本です。
(中略)
八番目の文明につづいて、ダークホースの文明として「ロシア文明」というものを考えてみましょう。この文明は独立して考えることができるのだろうか、ということですね。
歴史を辿ると、明らかにあれはビザンチン文明の北の出店ですね。コンスタンチノープルを中心にできたビザンチン文明の本物ではなくて、北のほうにダッシュ付になってできた。それを中心に発展したのです。しかし、本当に本心からビザンチン文明の魂まで持っているかというと、ちょっとあやしいところがあります。マージナルですから。だからすぐ浮気心で、動揺したりするのです。動揺した著名人の第一人者がピョートル大帝です。彼はビザンチンよりも、西欧文明のほうを向いてしまったのです。それで安定したのかと思うと、何か納得できないものが残りました。たとえばドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んで感じるのは、西欧文明嫌いですね。ドストエフスキーそのものがそうです。「やはりそんなものは」という保留した気持ちがどこかにある。
その後、ロシアは革命で共産主義をやりました。それで安定できるのかと思ったら、やっぱりダメで、ふりだしに戻る。ソ連崩壊でふりだしに戻っている。「私たちはどちらに行けばいいのだろう」、そういうようなロシア人自身がさまよえる魂だと私は思うのです。さまよっている歴史や態度をさして、世界中がロシアをとやかく批評し、日本のインテリもけちを付けたりするけれども、考え方を変えたら面白いじゃないか。これは九番目の文明になるかもしれないということで、「さまよえるロシア人」、これを本当に居心地のよいようにすることは、世界のために、たぶんたいへん面白いプラス志向だと私は思います。
世界の文明を考えるとき、ちょっと問題を残すのが、東北アジアです。近代化にさしかかって、真空地帯になりました。それはどうしてでしょうか。
東北アジアは、満州族をはじめ、いくつかの民族を生み出したところですね。古いところから言えば粛愼、渤海。それから金、次は元をとばして清と、三度もあそこから乗り出してきて、中原に覇を唱えようという勢いになった。こんなあやしげな地域です。その魂とはどういうものであるかというのは、わかったようでよくわからない。
ただ一つ言えるのは、彼らは単なる農耕民とか牧畜民とは違って、ハンターづいているという、何か狩猟民的な面白さがあります。これもダークホースのなかにひょっとしたら入るかもしれない。そういうのがここに挙げましたダークホースの文明の卵というわけです。水界稲作民、ロシア、東北アジア、これら三つに温かい目を注ぎたいというのが私の好みでございます。

(や) 将来へ、諸民族の調和を、追求する。かういふ立場からも、今の地球情勢を、見守りたいものです。

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