原発論アンケートTen!!

〈雪月花への核ごみみそぎ〉列島運動

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原発どうする会本部

司会のようなもの

未来人に

(や) 梅雨前線の異常な停滞。異常な豪雨。日本列島の気象はどうなつてゐるのでありませうか。亡くなられた方がたに、謹んでお悔やみ申し上げます。被害にあはれた方がたに、謹んでお見舞ひ申し上げます。
日本も世界も、先行き不透明感があります。
わたしどもが、もっとも注目してゐるのは、ヨガの沖 正弘師 (1919~1985) です。沖師は生前、かう言つてをられたさうです。「おれの思想は、おれの死から100年後に、まともに理解されるだらう。」1985年7月、師はすべての原稿を完成後、永眠され、永眠後に主著『生きている宗教の発見~だれでも悟り救われる沖ヨガ修行法』(竹井出版1985年8月) が出版されました。これは、世間への売れ行き可能性に配慮せず、出版されたもののやうです。沖師の上のことばのごとく、むしろ未来人にこそ、まともに理解される著であらうと、わたしどもは判断してゐます。この著の「まえがき」の冒頭を、ここに、ご紹介しておきます。

(『生きている宗教の発見』1~2ペより) 私はこの書を通して、人類の救われる道は本当の宗教の実践のみにあるということ、また本当の宗教とは一体何であるのかをのべたいのである。
人類は歴史始まって以来今日まで一度も救われたことがない。だが本能的に誰もが救われを求めつづけている。救われを求めていない人は一人としていないはずでありながら、なぜ異常現象や悲劇が絶え間なく起りつづけているのだろうか。一見して人類を救うかの如く見える主義や思想が次々と生れて来たが、本当に効果のあるものは一つもないと言ってよい程である。それは人々が、人間の生き方は宗教心を中心にしたものでなければならないことに気付いていないからである。
人間が異常現象をおこす原因には大別すると次の二つのものがある。その第一は嘘のことを本当のことのように思い込まされ、疑いを持たずにそれを行っていることであり、第二はエゴイストになりやすいことである。我々は、ものごとの本当の姿を理解すること、すなわち悟りを開き、エゴを浄化する生き方をしなければ決して救われないのである。その為の道と方法を教えるものが本当の意味の宗教であり、正しい宗教によってのみ人類は救われうるというのが私の確信である。そして私はこの事を説くことが、使命であるとの生き方をしている。
(中略)
私は宗教書を出したいという願いを三十年間持ち続けてきたがどうしても書くことができなかった。それは、宗教は真実のみを伝えるものであって、少しの嘘やいつわりがあってはならないものだからである。また宗教は書いたり、読んだり、語ることによって解りうるものではなく、実行してのみ解りうるものであるから、年月をかけてとにかく実行してみようと決心したのである。自分が体得し自分の生活そのものになった表現でなければ嘘のものである。私は嘘の生き方をしたくないのである。

(や)「宗教」の語を用ゐると、沖師の真意を誤解されやすいと、沖師自身が語つてをられます。それでも師は、主著にて「宗教」の語を用ゐられました。
わたしどもとしては、「宗教」の語は避けさせていただき、〈道徳〉と表現し、数年後に一定の活動を開始させていただくべく、着々と準備を進めてをります。
以上は、ITやロボットなどを発達させることよりも優先されると、わたしどもは考へます。

アフター・コロナに

(や) 学研プラス『ムー』2020年7月号No.476の102~105ペに、並木伸一郎のフォーティアンファイル第19回「ペンタゴン公認のUFO映像を公開!!」といふ記事があります。『ムー』の記事だからと言つて、軽視できません。米国のペンタゴンや、日本国の河野防衛大臣の、事実が紹介されてゐます。

(記事より) 今年4月27日の正午、UFOの文字がテレビのニュース画面に踊り、翌日の新聞紙面を飾った。米国防総省=ペンタゴンが、米海軍戦闘機によって撮影されたUFO映像を“本物”と認め公表したのだ。
この映像については、ペンタゴンに先だって2019年9月10日、米海軍の公式報道官ジョセフ・グラディシャーが、「映像自体は本物だ。映っているのは“未確認飛行物体”である」と明言したことは、以前本誌でも紹介したとおりである。今回の発表は、それを踏まえてペンタゴンまでもが公式に認めたことになる。
映像自体は、ロックスターのトム・デロング率いる公益法人「トゥ・ザ・スターズ・アカデミー・オブ・アーツ (To The Stars Academy of Arts。以下TTSAAS) が、2017年12月から翌2018年3月にかけて、自身のホームページで一般公開しており、目新しいものではない。
しかし、ペンタゴンが公認したという事実が、UFO史に新たな歴史的1ページを刻みこむことになったといえる。
そもそもTTSAASとは、トム・デロングとペンタゴンの「UFO極秘計画」にかかわっていた元職員のルイ・エリゾンドを中心に結成された団体で、彼らは元CIA職員やペンタゴンの情報担当次官補佐などの専門メンバーとともに、政府が掴んだ情報を探り、UFOの真実を追求するなど積極的に活動している。
今やペンタゴンの目の上のタンコブ的存在になっているが、今回の発表の裏で、少なからず影響を与えたとも伝えられているのだ。
(中略)
飛行物体の正体はさておき、あのペンタゴンが「歴史的な海軍の映像」とまで評してUFOの“実在”を認めたことはエポックメイキングな出来事だといっていいだろう。しかし、筆者が気がかりなのは報道官が「UFOの侵入」という言葉まで使っている点にある。
新型コロナウイルスの感染拡大で大変なこの時期に、ペンタゴンが、あえてUFOの実在を公式に認めた意図が“侵入”という言葉にある。つまり、次にコロナを超える“大事件”が起こる可能性があるということだ。それはUFOを操る“地球外知的生命体=異星人”の大挙飛来ではないのか? アメリカ政府がその事実を察知したからこそ、今回の発表につながったのではないのか、と筆者は勘ぐっている。
実は、漏れ伝わる情報がある。2007年から2012年にかけてペンタゴンが実施した極秘調査「先端航空宇宙脅威特定計画 (AATIP)」で、アメリカの上空や世界各国に出現したUFOが人類の脅威となるという有力な情報を入手。懸念したペンタゴンは、現在も調査を秘密裏に行っているというのだ。
そして、2019年12月21日に発表された、72年ぶりとなる第6の軍「宇宙軍」の発足も深くリンクしていると考えられる。領空内に侵入してくる異星人のUFOに脅威を感じたトランプ大統領が、異常な速度で発足を早めたのだという。
今回のペンタゴンの発表は、UFOの存在を公表することで来たる未曾有の大事件=UFOと異星人大挙襲来に対する大衆のショックを幾分か和らげようとする意図があったのではないか。UFOの大挙襲来──情報どおりなら、われわれはすでに、危機にさらされているのだ。
ちなみに、ペンタゴンの発表を受けて河野防衛大臣が4月28日に記者会見を開き、「万が一パイロットが未確認飛行物体に遭遇した際、映像撮影時の手順をしっかり定めたい」とUFO問題に前向きな姿勢を取り、自衛隊幹部も「領空侵犯があれば迎撃する」と豪語している。
さらに防衛相は、5月18日に自衛隊初の宇宙専門部隊「宇宙作戦隊」を発足すると発表。UFO問題を無視してきた日本が反応するとは、いよいよきな臭くなってきた。
これまで何度か噂になっているUFOの地球襲来がいよいよ現実となって、われわれに迫ってきているのか? 答えはまだ見えてはいないが、今後の成り行きを注視したい。

(や) 昨年9月14日にわたしがあるところにて講演させていただいた際、以下の発言もいたしました。

(講演スライドより)
井のなかの蛙(かはづ)、大海を知らず。
情報管理された、地球人。大宇宙を、知らず。

山田 学を含む、われわれ地球人。
宇宙において、〈後進生物〉にすぎない。

2020年代。
人びとの、社会観と自然観と宇宙観、
それが、激変するのでないか。

UFOや宇宙人を受けとめる、準備!
「現実論としての数学を」
「物理学再考」
「生物系と個人」
「原子転換論」
(「理念集」画面内)

(や) 2020年代は、どうなつていくでありませうか。

生体防御

(や) 新型コロナウイルスに対応するやう、特殊に、通信・金融・運輸の諸技術などが発達していく面も、ありませうか。週刊ポスト誌2020年5月1日号21ペのなかに、 (通信界の象徴) ビル・ゲイツ氏の発言が紹介されてゐます。

(紹介記事) …5年前に「人類の脅威は核爆弾よりウイルス」とパンデミックを予想していたビル・ゲイツ氏は、1年半後に完成予定のワクチン開発に数十億ドルを投資し、「全米規模の封鎖、徹底的な検査、データに基づく治療法とワクチンの開発」を提言 (3月31日付ワシントンポスト紙)、パンデミック終息後についてこう語った。
「経済は命さえあれば取り戻せる。病気や死という痛みを最小限に抑えるために、私たちは今こそ経済の痛みを受け入れるべきだ。ワクチン完成までは人々の生活を元に戻すべきではないことは明らかだ」(3月25日放送CNBC)

(や) 皆みなさまは、この発言に、どういふご意見でせうか。
ワクチン開発の現場からは遠い、わたしどもとしては、人びとがおたがひの生体防御力を高めあふ日常研究を、呼びかけます。ここで、生体防御力とは、ひろい概念であり、ワクチン開発も関係する、白血球による免疫力は、その一部であるにすぎません。また、有害な質や量の電磁波を放射するかもしれない諸技術に対応し、人びとがおたがひの生体防御力を高めあふ日常研究も、これからは、必要でせう。
人間の生体防御系は、異物、病原の細菌やウイルス、毒素などの侵入を排除し、体内の老廃細胞・老廃物や、がん細胞などを、処理してゐます。
生体防御系に関与してゐるものには、毛・皮膚・粘膜・涙・鼻汁・唾液・皮脂・汗・胃酸などと、免疫系の白血球 (さまざまな進化度の種類がある) と、10年ぐらゐ前までは、明確に意識されてはゐなかつたかもしれない、常在の細菌・ウイルス微細生態系とが、あります。むしろ、われわれの全身の皮膚や、口から肛門までの腸管内や、女性の産道に、無数種の細菌・ウイルス微細生態系が調和して常在してゐることこそが、生体防御系なのです。これが、“新参者”の病原の細菌やウイルスを排除する働きもしてゐます。各種化学薬品により、神経質に「消毒」しすぎると、かへつてこの常在微細生態系の調和を乱してしまふ。さういふ、逆説もあります。このあたりは、佐々木 淳著『腸内細菌はすごい!~健康長寿の最大兵器』(KKロングセラーズ2020年2月) を参照してください。この著の表紙には、著名な藤田紘一郎先生の写真と推薦のことばが入つてゐます。

(推薦のことば) これまでの研究者が気づかなかったところを解説されており、腸内細菌をはじめとした細菌類の働きについて
新しい見方を提示した
(同著227ペより)
様々な細菌がいると匂わない。
様々な細菌がいるとストレスがない。
様々な細菌がいると清々しい。
様々な細菌がいると健康でいられる。
様々な細菌がいることが衛生的。

(や) まう少し大きく見て、ホルモンや神経系が関与する、本能的な、背伸び・あくび・うなり・くしゃみ・下痢・食欲不振なども、生体防御系と言へます。
人間は、全身の皮膚・感覚器官を通し、体外感覚 (視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚) してゐます。全身の体液・皮膚を通し、一定の排泄 (排毒) をしてゐます。とくに、足の裏・手のひら・舌・鼻の穴・耳全体・眼・頭皮が重要なのです。
また、血液を中心とする体液について、そのホルモン濃度などを、体内感覚してゐるやうです。
養生とは、すなはち、〈体液の、質と循環の、調整〉であると、考へられます。
しかしこれは、実践としては、簡単でなく、究極は、生活全面 (姿勢動作・呼吸・食事と排泄・人間関係とくに異性関係・精神・生活環境) の修正=悪業(あくごふ)からの解脱(げだつ)までを、要するでせう。
が、日常研究として注意すべきは、また、単純なことです。全身の働きは、神経と骨格と筋肉とホルモンと血液により、統一されてゐます。〈呼吸は楽か。脈はととのつてゐるか。気分はよいか。〉これに注意し、そのやうであれば、全身の働きは統一されてゐます。そのやうでなければ、さうなるやう、〈冥想〉し、工夫すればよいのです。さらに、安眠を工夫すればよいのです。
微視的には、細胞内の細胞たる、ミトコンドリアがあります。主な働きは、酸素分子と、栄養から、ATP (体内を動かす素(もと)) を産生することですが、それに限らぬ、多くの重要な働きがあり、さらに、全身のミトコンドリアどうしに、重要な連関もあるやうです。
民間にてよく、「自然治癒力」と言はれますが、その実態は、このミトコンドリア全身連関と、先の常在細菌・ウイルス微細生態系調和と、〈酵素活性場〉の、三者のやうです。〈酵素活性場〉は、生理にも関与する空間の性質であり、わたしどもの「TQ技術」の事実を説明するため、提唱させていただいてゐる、生理学と物理学の新しい概念です。
以上を踏へつつ、自覚的な生体防御は、〈自分自身が個性的に必要な栄養と教養と精神安定〉を追求し続けることでせうか。その究極は、〈記憶と念を快適にする〉ことでせうか。
社会的には、〈生体防御としての学問・規範・祈り・芸術と武道〉といふ概念も、成立するでせうか。人間の思考・情念・情感・生体において、とくに、情念の良縁を追求し、悪縁を回避することは、それが直接に、健康な酵素活性といふ生理に、関与してゐるのかもしれません。

生理聖人へ協同

(や)「だいぢゃうぶだぁ」の人が大丈夫でなく、一定の覚悟をしたかもしれない日本国民…
新型コロナウイルスに対する人間の生体防御力を、どう高めあふか。
おたがひの健康平和な生活を生産しあふ経済へ、どう再編していくか。
以上において、TOKYO2020のあり方をどう考へるか。
世界と日本は、この目標に集中したいものです。
わたしは今、ある気づきがあり、わたしにとり、もっとも大切な本、沖 正弘『生きている宗教の発見~だれでも悟り救われる沖ヨガ修行法』(竹井出版1985年) を (何十回めの) 再々読をしてゐます。その気づきに向け、わたしなりの表現にて重要メモを記しつつ。メモの内容を深くご理解いただくには、むろん、多くの補足説明が要りますが、ここではあへて、メモをそのまま公開させていただきます。

苦しみ悩みにお詫びする。さうしつつ、生理にしたがふ。そのやう、おたがひを、生かさせていただきます。これを、求道(ぐだう)と言ふ。自身の生活の範囲にゐる、人間や他生物。そのすべての細胞の、代謝につき、それらの、健康な調和をこそ、冥想させていただきます。自他の生理にしたがはぬ、道徳としての罪。それを、しだいしだいに、すすいでゆきあふ。
神経と筋肉へのO2の流通。呼吸調整法としての、修正法。都市生活の野性化。保健としての道徳。それを確立していく安心。
〈生理にしたがふ、個性別の道徳〉。それを推進する、協会と公会。生体と認識の個性。それを反映する、個性別の道徳。たるべし。ひとりひとりの個性別な、求道実行。それなくして、社会の統一なし。一方、おたがひの生活を、健康平和化していくこと。それなくして、個人の満足もなし。
道徳共同体の創造。人間社会の健康平和化のみを、欲求する悦び。
諸国家の伝統や、諸思想の伝統。それには、ひとりひとりの生命運動を、抑圧してゐる面も、ある。だから、さういふ伝統の、はからひやとらはれから、解脱していくこと。それも、生命運動を、解放する。人間は、生命運動を、認識により、運営してゐます。この数千年間の、諸部族や諸民族どうしの闘争。それにおいて、認識が、自他の生命運動を、抑圧してゐる面も、あります。それこそが、迷ひである。自他の生命運動を、解放していく、求道実行。ひいては、諸民族調和こそが、望ましいです。
世界の諸分野について、個性別に、〈健康平和な現実認識〉を、みづから、追究しあふ。人間社会を健康平和化していく。そのやう、学問を、整理する。物理の必然。それを確信し、それにて安心する。とともに、個性別の道徳。それへの意志を誓ひ、それにて安定する。
資産増殖を競争しあふ、人間社会。から、健康平和な生活を、追究しあふ人間社会。へ。資産を所有する、個人による、契約社会。つまり、権利と義務から、おたがひの体内に、注意しあふ、個人による、守りあひ社会。つまり、人情と義理へ。〈聖なる重厚さの、次体制=諸民族調和〉。それへの、合掌。〈俗なる軽薄さの、現体制=金融闘争〉。それから、解脱していく、修業。姿勢動作と、呼吸と、食事と、人間関係と、精神と、生活環境の、修正。地球公会協会創造提案。生理聖人へ協同。生理にしたがふ。さういふ、聖なる人格へと、めざしあひませう。そのやう協同させていただきます。

逆ケインズ

(や) 新型コロナウイルスの影響により、中国の政治日程が変化し、日本国の学校が休みとなり、各国の経済に失速もありませうか。
週刊ポスト誌2020年3月20日号・62~63ペに、大前研一氏が、「ビジネス新大陸」の歩き方第692回として、「“未曾有の大不況”を前に日本経済を衰退させる岩盤規制を撤廃せよ」を、書いてをられます。その多くを、引用させていただきます。

(大前氏記事より)「中国がくしゃみをすると、世界が風邪をひく」と言われている。それほど中国経済が世界経済に及ぼす影響は大きいわけだが、新型コロナウイルス禍で中国経済が“肺炎”になった今、世界経済が大きく減速することは避けられないだろう。
(中略)
だが、逆に考えれば、今は旧態依然の日本をオールクリアして再生するチャンスだ。繁栄している他の国を見習い、岩盤規制を緩和・撤廃すればよいのである。
たとえば、ガソリンスタンドは敷地内にコンビニや物流拠点を設置したり、次世代自動車向けの電気や水素を供給したりすることは、消防法によって厳しく規制されている。この規制が緩和されれば (すでに経済産業省は検討中だが) ガソリンスタンドにも生き残りの道が開けてくる。
また、ドラッグストアや薬局は、規制緩和によって可能性が大きく広がる。
世界的に見れば、薬の処方箋は電子化が当たり前になっている。つまり、医者が患者に処方箋を電子的に送り、それを患者はスマホやサーバーに保存して最寄りの調剤薬局で提示したり、事前に転送したりするのだ。そうすれば、患者は調剤薬局での待ち時間が大幅に短くなるし、配達までしてもらえたら外出も減るので、感染症対策にもなるだろう。
日本はそうしたスマホ時代の電子化の波に著しく乗り遅れている。処方箋は未だに紙のままだし、薬局は基本的に1日平均40枚の院外処方箋に対して1人以上の薬剤師を配置しなければならない。そうした規制をなくして、ネット経由で配送できるようにすれば、ドラッグストア業界は大々的な効率化が可能になる。
規制撤廃が新たなビジネスになる有力分野は教育だ。現状では、教員免許を持っていないと基本的に初等・中等教育では教壇に立つことができない。しかし、この規制を撤廃し、たとえば英語は母国語が英語の国の国語免許を持った人に、コンピューターのプログラミングはIT企業の専門家に教えてもらえば、実務能力は格段に高くなる。
最近は副業を認める企業が増えているが、どうせ副業をやるなら、自分たちの得意分野で社会奉仕すればよい。そのほうが、単に収入を増やすためだけの副業をやるより、本人のモチベーションも上がるはずだ。
規制を撤廃すれば、農業や漁業も蘇る。たとえば、今や稲作は農家の平均年齢が70歳を超えて先細りする一方だ。そこで、農協の金融機構が持っている巨額資金などを活用し、ベトナムやタイ、カンボジアなどの農民に日本の水田耕法を教える仕組みを構築し、その技術を習得した人たちが日本で農場を経営できるようにする。そうすれば、日本国内はコメの自給を維持できる一方、海外で日本の農業ビジネスを展開することも可能になる。農協を株式会社にして、オランダのように近代経営で輸出産業化することも可能だ。
漁業の場合は、台湾や中国、ロシアの漁民が獲ったものを日本の漁港に水揚げできるようにする。漁民が洋上で仕入れて輸入できるようにしてもよい。いわゆる“瀬取り”だが、すでに日本の魚介類は漁港に水揚げされる量より貨物港への輸入量のほうが多いのだから、何も問題はないだろう。
また、東南アジアではグラブやゴジェックなどのオンライン配車サービスが大流行だが、日本では自家用車に人を乗せて料金を取ることはできない。この規制を撤廃しないと、高齢化が進む地域では“移動難民”が大量発生することになる。
家政婦や育児支援に関しては、個人が外国人を雇用するための就労ビザがない。政治家は女性の社会的地位を向上すべきとか出生数を増やせとか言っているが、そもそも女性を家事や育児から解放する基本法がないのである。
このように、規制を撤廃すれば新しいビジネスのアイデアはいくらでも出てくるのだ。まさに「商い無限」である。一時的に失業者は増えるかもしれないが、今の日本の失業率は2.2%。事実上、完全雇用状態であり、規制撤廃で失業者が増えたら、その人たちを新しいビジネスに投入できる。
要は、私が30年前から提唱してきた通り、提供者の論理ではなく、生活者・消費者の視点で規制を撤廃して繁栄の道を探るしかないのだ。このまま座して待っていたら日本経済はジリ貧となり、いよいよ危機的な状況に直面するだろう。

(や) 大前氏の具体策に、賛否はありませうが、根本論理は、賛成いたします。
わたしどもも、〈逆ケインズ経済学〉を唱へてをります。
法律とその執行により統制・保護された、今の生産の供給体制にとり、「有効な需要」は何かと、考へ、 (日銀を含む/一方、地方自治体を含む) 中央・地方の国家機関が主導し、それを創り出す… これがすでに、通用しなくなつてゐる時代です。
逆に、日本国民は、GDP増大に関心があるといふより、自身の家庭や職場や同好会や、地域や日本社会や地球社会について、〈将来への安心〉こそがほしいのでせう。そしてさしあたり、〈おたがひの生活や生産や人生の健康平和化〉こそがほしいのでせう。法律のもとの今の供給体制と無関係に、日本国民には、まづ、このやうな切実な需要がありませう。さて、それにまともに応へる〈有効な供給〉とは何かと、考へる。むしろ今の供給体制の再編を、民間から、考へていく。国家機関が何かを主導するのではなく、むしろ〈有効な供給再編〉を促進すべく、法律とその執行じたいを修正していく。
ケインズ政策的な行政主導の時代から、逆ケインズ営業的な民間主導の時代へ。日本国民の生活により近い位置から、世論を高めてまゐりませう。
さらに。少し先走りますが、わたしどもは、現体制から次体制へ、次の標語も、掲げさせていただきます。
「俗なる軽薄さの現体制=金融闘争」から、〈聖なる重厚さの次体制=諸民族調和〉へ。

新しい日本史観

(や) 人間社会全体における生産発達とは区別し、諸民族の芸術や道徳の興隆と衰退について、反省する。むしろ、さういふ方向性にて、わが日本民族史を記述し直すべきではないか。もともとは、西洋美術史がご専門の、田中英道先生が、『新しい日本史観の教科書~正しい歴史に「修正」せよ』(ビジネス社2019年11月) において、さう主張されてゐるやうです。あらゆる歴史観を周到に比較検討し、今の日本社会における日本史学や日本史教育の残念ながらの貧困を、指摘してゐます。
19世紀のヘーゲルやマルクスは、〈必然と意志〉の問題を深く深く考究した、わたしどもの先達です。この点、わたしどもと田中英道先生は、あるいは、根本の立場が異るかもしれません。が、当面の主要問題としては、以下にご説明する理由により、田中英道先生の方向性に、賛同いたします。
人間社会における伝統と創造について、わたしどもによる認識と行動は、かうです。
諸民族闘争の伝統を認識し、諸民族調和への創造を行動する。ただし、ヘーゲルのやうにまだ国家にとらはれてゐたのでは、諸民族調和への創造を行動できない。
人間社会全体における資産階級格差の拡大伝統を認識し、これの縮小創造を行動する。ただし、マルクスのやうにまだ所有革命にとらはれてゐたのでは、かへつて、これの縮小創造を行動できない。
以上のうち、諸民族調和への創造を行動するにあたり、当面の主要問題としてこそ、田中英道先生の方向性に、わたしどもは賛同いたします。諸民族とくに自民族の芸術や道徳の興隆と衰退について、反省しなければ、諸民族調和への創造を行動できません。また、現代の資産増殖競争への思考が、古来のおたがひの健康平和な生活への情感や情念を弱めてゐる面もあり、芸術や道徳の現代における〈衰退〉こそを、反省する。さういふことでもあります。
なほ、19世紀以降に流行した歴史学が、各民族内に同様の発展図式があるかに誤解し、現象認識についても構造認識についても、かなり不毛な議論となつた根因は、意外にも、マルクスの盟友であつたエンゲルスに、あるやうです。ヘーゲルやマルクスの関心は、決して、各民族内それぞれの歴史ではなく、人間社会全体の歴史たる〈世界史〉でした。

(滝村隆一『国家論大綱 第一巻 上』勁草書房2003年・337ペより) …彼 (註・エンゲルス) の発展史観への方法的無理解は、後のマルクス主義者たちに、決定的ともいえる学的・理論的な悪影響を、与えるところとなった。
〈原始的→アジア的→古代的→中世的→近代的〉、という世界史の発展史観が、〈アジア的〉段階を脱落させたうえで、何と、〈これらの発展段階は、あらゆる個別歴史社会において必然的に継起する〉、と解釈されて振り回されたのである。しかしこれは、もはや〈世界史の発展史観〉ではなくて、〈個別歴史的な発展史観〉への曲解と矮小化にほかならない。また、これによって、学的・理論的な方法としての世界史の発展史観は、「歴史学」、正確には個別実証史学の学的方法へとすり替えられ、大きく歪曲されることにもなった。
しかしそうなると、厳然たる歴史的な結果的な事実として、どの個別的社会の歴史的発展をみても、この意味での〈継起的な段階的発展〉を経過していない。…

(や) この意味にて、エンゲルスからの「マルクス主義歴史学」は誤りであつたと、わたしどもも考へます。
さて、わたしどもは、ヘーゲルやマルクスを継承し発達させ、〈必然と意志〉の問題を、かう考へます。
人間の生活や人生には、個人的に道徳の意志があり、協会的に経営の意志があり、将来は、地球公会を発達させていく意志も、あるでせう。さういふ人間の生活や人生は、何に支へられてゐるか。認識理(り)の必然、ないし生理の必然、ないし物理の必然に、支へられてゐます。
山田 学著〈学問本質論〉(JOMONあかでみぃサイト「理念集」画面内) から再録します。

(〈学問本質論〉2ペより) 世界は現象において偶然と意志があり本質において必然がある。世界には主体的から客体的へ道徳と経営と公会発達と認識理と生理と物理といふ分野がある。主体すなはち体内にもとづき病的戦争と健康平和がある。健康平和な現実認識の保育・教育・保健 (の運営・指導)・看護・医療が理想である。諸民族伝統には必然があり諸民族調和へ創造する意志が理想である。個人には受精と生誕から死亡までの物理と生理と認識理がある。

(や) 戦後の日本社会にて流行り、今も日本史教育などに影響力が遺る「マルクス主義歴史学」からは解脱し、ヘーゲルやマルクスをまともに継承し発達させたいものです。
諸民族調和と資産階級格差縮小のために。
ヘーゲルは、キリスト教の哲学的な完成者であり、マルクスは、それへの批判者であつた。わたしどもは、さう観ます。
そして冒頭に紹介した、田中英道先生が、先生の別の書にて、キリスト教について、かう指摘してゐます。

(田中英道『日本人が知らない日本の道徳』ビジネス社2016年・169ペより) …旧約聖書のアダムとエバから罪を受け継いでいる人間はすべて、生まれながらにして罪人(つみびと)だという「原罪」の概念があります。
アダムとエバの罪というのは、旧約聖書冒頭の「創世記」に描かれるエピソードから来ています。神によって最初に創られた人間アダムとエバが、悪魔である蛇にそそのかされて禁断の木の実を食べてしまい、神との契約を冒したということで楽園を追放されるのです。ここで犯した罪を、すべての人間が逃れることができない「原罪」としてキリスト教では教えるわけです。日本人にとっては不可解でならない部分の一つだと思います。
そもそも、楽園に食べてはいけない木の実があることがまず不思議なのですが、そこに悪事をそそのかす悪魔がいるということも、楽園という場所では考えられないことでしょう。日本人からすると、不自然極まりない設定だらけなのです。それが前提となっているために、キリスト教の論理全体が歪(ゆが)んでいるという認識を持ってしまうのです。

(や) さて、「すべての人間が逃れることができない原罪」にとらはれるより、〈諸民族闘争といふ罪〉、〈資産階級格差拡大といふ罪〉から、解脱していくべし。純情な日本民族なら、さう感ずるのではないでせうか。
〈人民がおたがひの健康平和な生活を生産しあふ〉ことの普及により、しだいに、しだいに、生産や思想の全般を調整していく。やがては、行政や統治も止揚していく。これが、マルクスがまだ抽象的にしか考へられなかつた〈諸国家の止揚〉を、より具体化する論理であると、わたしどもは考へます。
〈これからの日本史の開拓〉として。
最後に、わたしどもの未来社会への標語です。

〈生理聖人へ協同〉
生理にしたがふ。
さういふ、聖なる人格へと、
めざしあひませう。
そのやう協同させていただきます。

〈根源性〉

(や) あけましておめでたうございます。
年頭から、いきなりですが、法律とか、国家といふものが、もっとも根本的なものなのか。それから解脱していく〈狭き門〉もあるのではないか。わたしが若いころから、何度も読み返してゐる、ヨガの沖 正弘師の『ビジネスマン幹部のための菩薩道入門ヨガ総合健康法(下)』(竹井出版1980年) に、さりげなく、こんな〈根源性〉の発言もあります。

(『菩薩道入門』71~73ペより) ひと口にいえば、人間教育の眼目は、法律なしに、人間社会の秩序と自由を保ちうる人間性をつくりあげていくところにあるのです。法律によらなければ、社会秩序が保てないとは、人間悲劇といわずして、なんといえるでしょうか。いうまでもなく、人間は社会的生活者です。人間には、おたがいに協力しあって、社会全体のバランスをとるという使命感があります。このことを意識的に心がけることが、人間性の尊さなのです。
私は、この能力のことを“愛”と呼んでいます。
人間には、他をも自分と思って生き、他の自然の働きのように、自分を他の中に埋没する本性があります。日光や空気のように、自分を他人の中に溶けこませて生きることです。私にいわせれば、この自他一如の生き方が奉仕生活であり、宗教的生活なのです。他のためにつくすことによって、おのれも生きる。他を生かすことによって、自分も生かさせていただく。
このように、自分の全部を他のために投げ出し、無我無心の状態になるのが、自然の道であり、自分のほんとうの心である、と思います。
私は、道場の人たちにいうのです。どうしたら、自分で自分の生活を守ることができるか、といった狭い自己愛をもつより、他に守られて生きていく工夫をなさい、と口癖にいっています。そうすれば、他を守った程度に自分が守られるのです。他に利益をあたえた程度に、自分にも利益があたえられるのです。他をよろこばせた程度に、自分もよろこばせてもらえるのです。他を救った程度に、自分も救っていただけるのです。これが、心のバランスを維持する法則です。
もう一歩、考えをすすめてみましょう。逆に、困ろうと思っても、他の人が困らせなくなったら、はじめてそこに、まことの自由生活がはじまるのです。
そこで、現実に、自分が困ろうと思っても、社会全体が困らせないような自分となるためには、他につくすことだけを考えることです。そして、奉仕生活のできる人間になるために、健康と知性と情操とが必要になってきます。これが“悟り”の境地で、そのために勉強と修行が必要になるのです。

(や) 諸民族闘争や資産階級闘争から解脱し、野性社会たる健康平和社会を創出していく。少しづつ、少しづつ、少しづつでもよいから、おたがひが尊い人格を顕していくやう、協力させていただく。この〈求道(ぐだう)実行〉なくして、どんな宗教も、どんな思想も、有意義でありうるでせうか。

9名の師

(や) 中村 哲医師は、なぜ、死なねばならなかつたのか。わたしどものこころにも、ひとつの空白が生じました。
人間社会のひとりひとりが、他のすべてのひとりひとりの、健康平和な生活ため、無理なく、無駄なく、協力させていただく。そんな理想の日常を、少しづつ、少しづつ、増やしてゆきたいものです。
今日の山田 学に至るには、9名の師に学び続けてまゐりました。これからも、学び続けてまゐります。それら9師に対する、今の社会的な評価は、むしろ、低いです。なぜなら、〈未来への師たち〉だから、です。
生活から、社会へ、の順にご紹介します。
沖 正弘師 (健康平和の問題)→山田俊郎師 (野性復興の問題)→川喜田二郎師 (情報整理と、民族の、問題)→庄司和晃師 (教育の問題)→高橋五郎師 (情報戦の問題)→吉本隆明師 (芸術の問題)→渥美俊一師 (流通の問題)→三浦つとむ師 (生産変革の問題)→滝村隆一師 (国家の問題)。
沖 正弘師 (1919~1985) に、学びました。人間の目的は、結局、おたがひの健康平和な生活、それを、生産しあふこと。
山田俊郎師 (1926~1996・わたしの実父) に、学びました。東洋と西洋の接点たる、生理と物理の接点たる、〈TQ処理装置〉(氣功の工業化) を、継承しましたが、今までの生理学や物理学について、残念ながら、その一面性こそが、自覚されました。
川喜田二郎師 (1920~2009) に、学びました。諸民族調和への、情念を。また、渾沌とした書類から、秩序ある発想へ、「KJ法」といふ技法も、学びました。
庄司和晃師 (1929~2015) に、学びました。前代 (江戸以前) の常民による、保育や教育の善い面も、復興すべし。
高橋五郎師 (1940~2017) に、学びました。金塊と戦争と原爆などの、極悪非道な、実相について。
吉本隆明師 (1924~2012) に、学びました。日本文芸の伝統と創造について。
渥美俊一師 (1926~2010) に、学びました。民間の販売革新 (ネット通販やチェーン・ストア) の遠い延長線上にこそ、〈地球公会の指導部〉、それが、成立しうるか。
三浦つとむ師 (1911~1989) に、学びました。あらゆるものごとの、区別と連関。それを、解明していく〈矛盾論理学〉(いはゆる、弁証法)。これこそが、情報の整理と、社会の組織の、礎(いしずゑ)なのだと。
滝村隆一師 (1944~2016) に、学びました。国家は、そもそも、部族間で、民族間で、闘争するための組織なり。のち、貧困層の不平不満を、調整する組織ともなつた。

そしてわたしの標語は、闘争から調和へ。人間社会の、数千年ぶりの大転換… 健康平和を研究する会議を、ここ日本列島からこそ、はじめよう。それを、〈縄文るねっさんす〉と呼びます。
縄文時代からの、生活や生産を、ふりかへる。それが、各地方の元気の、源(みなもと)となりはしないでせうか。
日本民族は、残念ながら、ITが、弱い。が、純情だから、 (IT関連が成熟し、次は、情感や情念こそが問題となる) 何十年後かに、希望なのです。
ITは最終的には、コンテンツ (記録内容) が、最重要。なら、先回りし、〈学問と規範と祈りと芸術と養生の中心〉。さういふ、ウェブ・サイトこそを、構築しよう。
以上の想ひにて、JOMONあかでみぃサイトを、少しづつ、少しづつ、建築してをります。

実験…

(や) さまざまな有識者の予想を裏切る、トランプ大統領の言動。これは、何なのか。
わたしどもは、かう考へます。
20世紀以降 (とくに、第二次大戦後以降)、〈世界的国家〉に発展した、アメリカ合衆国。本質は、〈世界的〉と〈国家〉に不調和もある、この存在。それに対し、まう〈世界的〉はやめてみないか? 〈国家〉のみに徹し、それで、白人低所得者層などの不平不満も、何とか解消できるのでないか。これが、トランプ大統領の「アメリカ・ファースト!」でせう。
しかし、石油のロックフェラー家以来、石油に限らぬ、多国籍販売企業あるいは多国籍仕入企業を土台としてこそ、発展した、アメリカ合衆国といふ存在。果ては、〈国家〉のための〈世界的〉軍事企業を超え、〈世界的〉軍事企業のための〈国家〉、といふ存在にも逸脱した、アメリカ合衆国。この逸脱について、まじめな軍人からの、批判もあつた。
ともかく、単純に〈世界的〉をやめれば、結局は、〈国家〉としても衰退せざるをえぬ、存在でせう。
トランプ大統領の、いはば「〈世界的〉をやめてみよう、それで白人低所得者層などの不平不満も解消できぬか?」実験。その結末は、だれも、トランプ大統領本人さへも、予想できぬものでせう。政治経済の有識者が、思ひも寄らなかつた、実験であり、トランプ大統領は、不動産業などの出身者として、いはば経験と知識が狭いからこそ、同じく経験と知識の狭い有権者層から選挙され、“果敢に”実験できてゐるのでせう。政治との癒着が少かつた企業家、といふ“クリーンさ”もあつたやうですが。
さて、わたしどもは、滝村隆一師 (1944~2016) に、学びました。
〈国家〉は、そもそも、部族間で、民族間で、闘争するための組織である。のち、貧困層の不平不満を、調整する組織ともなつた。
〈国家〉である以上、真に〈世界的〉となることは、無理なのです。土台として、製造業から、サーヴィス業へ、発達していけば、諸民族であるお客さまのさまざまな生活様式ないし思想に、調和していくことも必要となる。〈国家〉とは別に、諸民族調和への民間組織こそが、必須です。これこそが、〈まうひとつの公共〉であり、将来において、〈地球公会指導部〉に発達していく存在でせう。トランプ大統領といふ、結局はひとつの国家の指導者とは、正反対の発想こそが、必須なのです。諸〈国家〉に残る役割があるとすれば、〈まうひとつの公共〉の発達を保護し推進し、将来の〈地球公会指導部〉に、道をゆづることでせう。

〈再発見〉?

(や) わたしが20歳のころから学び続けてゐる、ヨガの沖 正弘師の著作のうちでも、この著のこの部分は、何度も読み返しました。『ビジネスマン幹部のための~菩薩道入門~ヨガ総合健康法(下)』(竹井出版1980年) の「人生に“憂い”を持とう」といふ、どういふこと?と想ひたくなる題名の章です。

(『菩薩道入門』64~67ペより)
私の好きな漢詩を紹介しましょう。
「生前百(ひゃく)に満たず、つねに千載(せんざい)の憂(うれ)いを懐(いだ)く」
つまり、人間の一生は永くても百年には容易に達しないが、その短い一生の間、いつも千年にわたる憂いを心に抱いて過ごす。人生は短く憂いのみが永い、という意味です。ここでいう憂いとは、悲しい事柄、心配ごとと思ってください。
中堅幹部の諸君は、自分の歩んだ人生をふり返ってみましょう。誰にとっても、人生は憂いの連続で、いつになっても、悟りの境地に達することはできません。生きるということは、平坦な道でないからです。
私は道場の人たちに、頂上のない坂道を巡礼のごとく、とぼとぼと歩き続けているのが、人間の真実な姿である、と説いています。明治の歌人、若山牧水は人間の生きざまを一首に託しています。
幾山河越え去り行かば淋しさの
涯なん国ぞ今日も旅行く
人生に終着駅はありません。一国の宰相、大企業のトップがいくら権勢を誇り、成功を謳歌しても、人生の憂いから解放されるものではありません。これから解放されることは、“死”を意味しているといってよいでしょう。
私は、この憂いのほんとうの意味は、自分の心を高める探究心であると思います。そして、この探究心こそが仏性を開発する、第一の修行法なのです。ここから、精神文化が出発するのです。牧水は、この境地をうたっているのです。人間性 (精神) の啓発に終着駅はありません。
これを認めない人は、うぬぼれの強い、心の貧しい人だ、と断定してよいでしょう。私たちは、人生の憂いと対決しながら、生き続ける宿命を背負っているのです。
私は、人生の憂いに打ち克つ方法として、自分で自分にノルマを課す生活を始めました。それまでの私は、自分につごうの悪いことや、性の合わない人とは、何とか避けて通ることばかり考えていました。
しかし、ふとしたことから、避けて通りたい問題や人間に対応していくことが、自分に課せられたノルマであり、求道の精神であるのを知り、大きな勇気を感じました。つまり、気にかかる問題や人間が存在することは、自分をいじめるためにあるのではなく、私の内にひそむ仏性を開発してくれるのだ、困らしているのではない、それは、私の仏性開発の試練としてあたえてくれるのだ、と思うようになったのです。
そうすると、いままでいやだと思っていたすべてが、逆にありがたい存在だと思え、敵に見えていた人までが、自分を啓発してくれるように思えてくるのです。そしてまた、自分の“我”をおさえ、すべてのものと和合し、良きものと解釈し、かつ良きものとして活用する。これが相手を生かす方法であり、相手を生かしたときに、私自身も生きることができ、私の価値が高ければ、相手の価値を高めることができる、と考えました。
このように、人生の憂いの根源は他との和合をきらい、他の存在を認めぬ独断にあるのではないか。“我”を克服し、他を自分の人生に活用する能力こそが、仏性のそもそもの開眼なのです。これを、私は無条件の心、打算のない心、空の境地、つまり信仰心と呼んでいます。
要約すれば、信仰心は全肯定の心をいうのです。何事もそのまま受け取る心です。物事は、成るようにしかならないのです。自然は、必要なものしか生じさせません。不必要なものしか滅亡させません。こうした自然の道理をわきまえず自分勝手に、もう少しこうなって欲しいとか、自分の願い通り物事が成って欲しいとか、成り行きを無視して邪念を抱くことから、人生の憂いや迷いが起こってくるのです。
「存在するものは、一切が合理的である」
唯物弁証法を唱えたエンゲルスが、こう喝破したことは興味深いものがあります。

(や) 沖 正弘師は、戦前の陸軍の特務機関の方でした。戦後、ひろく深い反省において、マハトマ・ガンジー師の平和思想を学び直しました。とは言へ、1980年当時の政財界などの幹部に向けて書いたと思はれる、この著作において、エンゲルスを肯定的に評価してゐることは、かなり意外です。
後年、わたしが沖 正弘師の講話を直接、聴いた際、「おれのことを共産党だと、噂する者がをる。何かに反対する人間は、すべて共産党なのか…?」といつた発言があつたかと、記憶してゐます。「噂する」人たちは、あるいは、この著のこの部分も、意識してゐたのでせうか。
今の政財界などの幹部において、沖師の師のひとりである、中村天風師については、かなり話題となつてゐるやうです。が、沖 正弘師については、むしろ知らない方がたも多くなつた。
沖 正弘師の思想が、すべてに目配りする、ひろすぎる、深すぎる、重すぎるものであつたからではないか。わたしは、さう判断してをります。
が、まうすぐの時代の巨大な困難こそが、この沖ヨガを〈再発見〉してゆくのではないか。さうとも、予想してをります。